ASHINO KOICHI +plus
彩書家・蘆野公一の日々のつれづれ
メモ
2022/10/09
Sun. 02:51
待合室に置かれた地域情報紙をめくると、挟んであった紙切れが足下に落ちた。
誰かが書いたメモらしかった。
手のひらにも満たない小さな紙には、三つのアルファベットと、四つの数字が青いインクで書いてあった。
大きさの揃ったちょっと丸まった文字は、品の良い大豆が並んでいるようだった。

ところどころがぽつぽつと滲んでいて、手についた消毒用アルコールが乾かぬまま書いたようにも見えたし、涙の仕業にも思えた。
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伊勢海老のビスク
2022/03/19
Sat. 03:27
本屋で、お目当ての料理が載った本を探していると、電話の着信音が鳴った。
ハッとして、リュックのポケットに手を伸ばしかけたが、隣の女性がコートから電話を出す方が早かった。
彼女は周囲に人などいないかのように、大きな声で話した。

電話の向こうは彼女のお母さんのようだった。
送ってくれた荷物への感謝の言葉と、お父さんに関する二、三の質問をどこかの方言で言った後、少し声を落として、「さらさ」の空きボトルに「アリエール」の詰め替えを入れたら、洗剤がゼリー状になったということをケラケラ笑って話しながら、どこかへ歩いて行った。
私は棚に並んだ背表紙を見ながら、ゼリー状になった洗剤が、繊維の隙間にこびりついたまま乾いた服を想像し、匂い成分が長く残ってそれはそれでありかも、などと思った。
伊勢海老のビスクが載った料理本を見つけたのは、それからすぐだった。
そして写真とレシピと作り方で満足した。
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乾いた風
2022/02/16
Wed. 15:44
ついこの間まであった家が無くなっていた。
遮られていた空が見え、知らない土地にいる気がした。

何も無くなった土地の上には乾いた風が留まっていて、空っぽの冷蔵庫のように静かだった。
前の電柱には何かのシールを剥がした痕があった。
留まっていた風が急に自分に向かって吹いた気がして、ポケットのハンドクリームを握った。
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起き抜けの声
2020/05/16
Sat. 05:49

友人に電話をした。
呼び出し音が鳴っている間、前の道を救急車が通って行った。
小さい頃、外で遊んでいる時にサイレンが聞こえると、とても不安になったことを思い出した。
程なくして友人は出た。滑らかではない水分の多い声音だった。
ごめん、寝てた?と私が聞くと、いや、寝てない。とやはりまだ籠もった声で友人は答えた。
どうでもいいことなんだけど、と前置きして、私は、呼び出し音と救急車のサイレンが変にマッチすることを話した。
喋りながら、机の上の紙に「いや、寝てたな」と万年筆で無自覚に書いていた。
友人は、へえそうなんだねえ。と口の運動をするかのように言った。
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