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ASHINO KOICHI +plus

彩書家・蘆野公一の日々のつれづれ



十代のころだ。上京してはじめてのアルバイト先に、Hさんという5歳年上の女性がいた。
会ったその日に一目惚れをした。輪郭のはっきりした美しさをもった人だった。
はじめのうちは、都会の大人の女性の魅力に口をきくのもためらわれていたが、何度か会って話をするうちに「メシとか付き合ってあげてもいいっすよ」とか「ドライブとか行くなら隣乗ってあげてもいいっすよ」などと軽口をたたけるまでになった。
Hさんは、物怖じしない僕をおもしろがってか、たまに誘ってくれたりした。
なんとかという俳優だか役者だかと付き合っているという噂のある人だったが、そんなことはあまり気にしなかった。なにせ時間は永遠にあって、自分が世の中で一番だ、と錯覚してしまえる十代だ。怖いものなどなにもなかった。

ある日、Hさんが仕事を辞めることをとつぜんマネージャーから知らされた。ついでの業務連絡みたいな告知だった。
ただただ悲しかった。Hさんが辞めるということもそうだが、こんな大切なことを彼女の口から直接ではなく、あまりバイト連中から評判のよくなかった男から聞くという、そのことが悲しかった。言ってくれる機会はあったはずなのだ。
それから何日かしてHさんが最後の挨拶をしに仕事場に来た時、ちょうど僕はいて、「ただただ悲しいっす」と告げた。


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数日後、僕はHさんの運転する赤いセリカの助手席に座っていた。
「なんで辞めるんですか」とほとんど尋問のように僕は訊いた。
Hさんは前を向いたまま、ゆっくりと言葉を選ぶようにして、言った。

僕の、これからの長い人生の中で、自分の身につけている服がすごく窮屈なものに感じられる時が来るということ。
それは前触れもなくやってきて、それに突然に気づくということ。
そのときがやってきたら、その窮屈な服は脱ぎ捨てなければならないということ。
それは成長しているという証だから脱ぐのをためらっていてはいけないということ。
僕ならそれを自然にやってのけられるだろうということ。

年上目線の、視点をうまく僕にすり替えた言葉だった。
僕は冷静に話すHさんの横顔を泣きそうになって見ていた。


 

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