ASHINO KOICHI +plus
彩書家・蘆野公一の日々のつれづれ
きょうだいげんか
2016/05/17
Tue. 01:03
仲のよい兄妹のけんかを見て、自分がこどもの頃の弟とのけんかを思い出した。
小学低学年のころ、私が友人と遊ぶとき、弟がほぼもれなくついてきた。
友人と弟は、まあうまくやっていたように思うのだが、私の中の足手まとい感は常にずっとあって、ちょっとしたきっかけで、すぐにけんかに発展するのだった。
けんかになるとやっかいだった。
泣き始めた弟はすぐに武器を探した。道に落ちている石や棒切れ、腰に巻いたベルト、なんでも武器にした。
兄である私はそんな弟に素手で立ち向かわなければならなかった。
弟は一応、人間としての理性がわずかながら残っているようで、本気で殺りにくるわけではないのだが、まともにくらえばかなりのダメージを受けるのは明白だ。そんな状況に陥ったときは私の身体中の感覚が鋭敏になった。
最初が肝心だった。弟の筋肉の微細な動きで初動を見切ってそれをひらりと躱し、音速で一気に間合いを詰め、背後にまわって羽交い締めをし、両腕を固めながら横隔膜に圧を加える。弟は泣くのに必要な大量の酸素の供給を断たれ失神寸前だ。
その私の美しい流れるような無駄のない動きに、百獣の王、武井壮も絶句しただろう。

なんてことを思い出しながら、兄妹のお母さんにご自身のことを聞くと、やはり妹のいるそのお母さんも姉妹げんかは日常だったようで、子供時代はそれが健全なんだろうなと思ったのでした。
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